こんにちは。東京会場での大関ヶ原展ももう終わりとなります。次は一ヵ月後に京都文化博物館に場所を変えての展示ですね。京都会場ではじめてお目見えする展示品も有る、ということなので、中々うまいやり方をしていると思います。マニアなら全部観に行きたくなりますものね。
さて、今回取り上げるのは、こちら。
『銀泥塗張懸鉢富士山形兜』
賤ヶ岳七本槍“もう1人の加藤”こと、加藤嘉明所用と伝わる兜です。
兜そのものは富士山というよりは三角形の形状をしており、今では黒ずんでいますが往時はおそらく銀色に輝いていたと思われるものです。一目みると、多分大半の人は「イカ?」という感想を持つでしょう。
*兜の形状については、違う展示会のページですが、こちらをご覧下さい。
戦国武将が変わった形状の兜「変わり兜」を使うのは珍しいことではなく、自分の存在を際立たせるため、つまり目立つために様々な趣向を凝らした兜が考え出されました。
この兜もそのうちの一つです。なお、見た目の重厚さからつい「なんか重くて首が疲れそう」と心配になってしまいます。ですが、この独特の形状は和紙や皮革、薄い鉄板などを張り合わせて作る「張懸」という工法で作られており、実はとても軽いのだとか。名将・加藤嘉明の珍 しく重厚そうな兜が置いてあるのを目にした侍が、近くでよく見ようと力を込めて持ち上げてみたら、意外な軽さに勢いあまってひっくり返ってしまった、などという逸話があると言われるほどです。
いずれにせよ、戦国時代の巨大で不思議な形状の兜は、多くが「張懸」工法によるものです。武将たちも戦場に行くのですから、動きにくい甲冑は困りますので。
*なお、加藤嘉明が関ヶ原合戦後に加増されて築いた伊予(愛媛)の松山城には、彼の所用と言われる甲冑が展示されています。こちらは角頭巾という和菓子の袋っぽい形状を張懸で作った「大黒頭巾鳥毛飾兜」がセットになっています。
*松山城ロープウェイの横には加藤嘉明銅像が2010年ごろから設置されています。甲冑に身を固め、馬にまたがった勇壮な銅像ですが、イカ兜はかぶっておらず、角頭巾状の兜をかぶっているようです。
*さらに松山城には、築城400年をアピールするために誕生した「よしあきくん」というゆるキャラがいます。もちろん加藤嘉明にちなんで名づけられているのですが、彼はイカでもなければ角頭巾でもなく、どうも鎌倉時代くらいの古めかしい形状の兜をかぶっています。なぜなんだ…。
*よしあきくんについてはこちらのサイトからご確認下さい。
最後に関係の有りそうな問題を一問。
問:カッコ内に入る人名を答えなさい。
1583年、織田信長の三男( A )と結んだ( B )を、羽柴秀吉が破った戦いが、近江 の賤ヶ岳の戦いである。
答:A 織田信孝 B 柴田勝家
織田信長の子供の名前が問われることはそう多くないとは思いますが。
それではまた次回。