アメリカ人宣教師の宿舎 その1

突然ですが、横浜の成り立ちについてご存知でしょうか。市内の小・中学校で習った、という方も多いかもしれません。
横浜港一帯の開発というものは日米修好通商条約(1858)の開港以降に進んだものですから、横浜市歌の歌詞にもあるとおり、それ以前は都市ではなく漁村でした。

ですので、横浜で「横浜港一帯がある程度開発されるまで」の史跡、要は古めの史跡に出会うためには、それ以前の中心地である東海道五十三次三番目の宿場町である神奈川宿周辺を探す必要があります。

神奈川宿は横浜港が大発展してしまったことと関東大震災でほとんどの史跡建造物が失われたこともあり、どこからどこまでで何があったのか、地元民にもあまり知られていません。しかしながら昨今、神奈川区役所が一生懸命史跡案内のパンフレットを配布していたり、案内板を立てたりしていますので、これを活用すればいままで知らなかった史跡を見物しに行くことができます。これはこのブログ的に利用しない手はありません。

3回目にして他力本願となったお題ですが…。

成仏寺の正面

立派なお寺です。成仏寺といいます。

成仏寺脇にある石碑

なにがどう史跡なのかというと、こんな碑が。

成仏寺表にある案内板

案内板です。

ということで、しばらくこの成仏寺について調べたことを書きつらねていこうと思います。